運動会

小学校の運動会

 

思い出すことが三つ

 

一つ目

幼稚園の弟の運動会と、私の小学校の運動会が重なって、両親は幼稚園の運動会を優先してそっちを見に行っていました。

 

お昼には父が弁当を持ってくるはずだったのですが、その時間になっても来ず、友達は家族とお弁当を食べている中、一人フェンスの外を見て父が来るのを待っていました。

 

それを見かねた友達が(親に言われたと思いますけど)、一緒に食べようと言ってくれたのですが、「いやもうすぐ父ちゃんが来るはずだから」と言って断って待ち続けました。

もう来ないかもと涙が出始めたころに、父が一番下の弟を背負ってフツーの顔してお弁当を持ってやってきました。それからどこでどうやってお弁当食べたか覚えていません。

多分私のことだからふてくされて文句言いながら食べてたんだと思います。

 

二つ目

前回の転校の話の続き。6年生の9月に転入して10月にすぐ運動会。

6年生は鼓笛隊パレード(各自太鼓やハモニカやらシンバルやら持って行進)のプログラムがあったのですが、途中から転入して練習さえしていない私は不参加。

田舎の小学校で6年生は1クラスしかなかったので、一人席に残ってパレード見学。

カスタネットだけでも持たせて出してくれればよかったのに気の利かない先生。

 

また、田舎なので、部落対抗リレーとか言って、学校の校区ごとに1年生から6年生までの各学年代表1人が出て、1年生から順番にリレーする競技がありました。こんな競技はこの小学校で初めて。

 

運悪く、その校区に6年生は転入してきたばかりの私だけ。出ませんと言うわけにも行かず走る羽目に。

そのころちょっと肥満体だった私は足が遅く、私の前の5年生まではいい線(2位か3位)でつないできたのに、案の定、私はあっさり抜かれ、近所の皆さんをがっかりさせてしまいました。

三つ目

4年生の時の小学校の名前が日吉小学校というところでした。

人文字と言うプログラムをやらされました。

4年生を3つの組に分けて、パレードしながらカタカナで「ヒヨシ」と言う形にして並ぶのですが、そもそも空から見れば文字になっているのがはっきりわかりますが、同じ高さで見た場合は、「できたのは、人文字 ”ヒヨシ”です」と先生が言って、見に来ていた父兄の人たちが、やっと「あぁ」と分かるだけです。

 

また、そのころ人文字という言葉を知らなかったので、一文字と勘違いして、「ヒヨシだから三文字なのに。。」と疑問に思っていました。

 

先生もちゃんと生徒に説明してほしかった。

 

 

 

 

 

転校

以前、引っ越し貧乏のところでも書きましたが、小学校を3回転校しました。

小学校3年生から小学校4年生に上がる時の4月が1回目。

小学校4年生から5年生へ上がるときの4月が2回目。

最後が小学校6年生の9月。なので、最後の小学校には卒業までの半年ちょっとしか行っていません。

1年間以下しか通っていない学校の卒業証書なんてもらってもなぁ。。と子供心に不満でした。別にその証書が後で役に立つわけでもないのですが。

 

お医者さんなんかは、医学部卒業証書を待合室に飾ってあったりしますが、普通の大学の卒業証書は実際にはほとんど役に立ちません。就職の際に必要なのは卒業証明書です。

学生課に請求すると発行してくれます。A4サイズの1枚物です。

 

場合によって、成績証明書などの提出が求められたりしますが、この成績証明書は封印されており、手提出前に本人が開けると、改ざんされる可能性があるためか、相手先に提出するまで開けてはいけないみたいです。

提出する必要がなくなったときに、試しに中を見てみると、あまりいい成績ではなかったことにちょっとショックを受けました。それでも卒業できたのでいいですが。(笑)

 

話を転校に戻しますと、転校は正直あまりしたくありませんでした。

せっかく慣れたと思ったら、次の環境。土地、言葉(方言)、友達、先生も全員入れ替わり。(実際入れ替わったのは私ですが)

 

子供のころは地方によって方言があることさえ気がつきません。

周りのみんなが話しているように話しているだけです。

 

大阪から東京へ転校した際、ちょうど国語の授業で方言についての内容で、先生が私に「ちょうど大阪から来た彼に読んでもらおう」と、私に国語の教科書を読むように指示しました。

 

別に、教科書に書かれた内容を大阪弁に翻訳?して読めと言われたわけではなく、そのまま書いてあることを声に出して読んだだけなのですが、読み終わった後、「やっぱちがうなぁ」と周囲の友達の声。

読んだ本人は、普通に読んだだけなのに「何が違うの?」

この後私は最初大阪弁というあだ名で呼ばれることもあったのですが、別にそれでいじめまで発展はせず、いつかそのあだ名は忘れられ、名前で呼ばれるようになりました。

 

そのころいじめがあったのかどうかわかりませんが、幸い私は転校生ということが理由でいじめには合いませんでした。

みんな結構転校生と言うことで最初は親切にしてくれますし、私も、あまり人見知りしない性格なので、すぐ溶け込んでいくことができました。

私は、小学校の時の転校だけだったですが、中学校、高校の転校だったらうまくやってこれたかどうかわかりませんけど。

 

今だと、いじめにあったり、人によってはなかなか溶け込めずに学校に行くのが嫌になったりする子供もいるかと思います。

 

子供は世間の広さを知らないことが多いですから、学校に行かなくなると他に行くところがないと思い、ますます引きこもってしまいがちです。

今なら不登校児のフリースクールや海外留学など、学校へ行かなくてもいろんな可能性があります。

いじめや不登校が増えた現在、学校に行かなくても他の可能性が用意されてきたいい時代というべきか、私の昔のように、まだ子供にそれほどストレスもなく、陰湿ないじめが少なかった時代がいい時代だったのか。どっちが良いのかわかりません。

しかし、将来を背負って立つ子供たちのが家に引きこもっていたり、外の世界を見なくなるよりは、まだ世界は広いと思えたり、自分から環境を変えて、居心地のいい世界もあるかもしれないと考え直すチャンスがあることはいいことではないでしょうか。

 

 

黒電話

大学時代、携帯電話などなかったので、下宿に電話を引いていました。

 

そのころはダイヤル式の黒電話です。

当時電話を引くには、NTTから電話の権利債権を買わなくてはならず、それが7~8万円ぐらい?していたと思います。

電話債券屋さんもあって、そこで買うと少し安くて5万円ぐらいだったかな?

下宿を出て、電話が必要と無くなった時には、もちろん買った時より安いですが、また買い戻してくれました。

 

黒電話のいいところは停電になっても電話をかけることができるぐいらいですかね。

電話番号のメモリー機能もないし、ダイヤルから指が滑って途中で戻ってしまった場合は、再度最初からダイヤルしなくてはならないし、不便極まりないです。

 

日本の警察は110番、消防署は119番ですから、急いで呼びたいときに、ダイヤルが9や10から戻るのを待つのはイライラすると思います。

 

一説によれば、9&10からダイヤルが戻る間に心を落ち着かせるためと聞いたこともありますが、緊急事態で掛けているのですから、やっぱり早くかかって出てほしいですよね。

 

ニュージーランドは111番、お隣のオーストラリアは000番の様です。

ダイヤル式の電話だったら、オーストラリアでEmergencyの電話をかけて一回目の0が戻ってくるまでの間に、隣のニュージーランドではもうつながってますね。

 

海外に旅行に行くときは、その国のEmergency番号を調べておいた方が良いと思います。

 

昔は、表題の黒電話が必ず家に一台あったものですが、今家に固定電話がない方多いのではないでしょうか?

携帯があれば何とかなりますからね。

引っ越し貧乏

私は今まで30回近く引っ越ししています。

ほとんどは独立してからですが、大学に行くため家を出るまでに7回引越しました。

小学校は3回変わりました。兄弟全て生まれた場所が違います。

最後の小学校は6年生の夏休み後、9月に入ったので、卒業まで半年ほどしかその学校に行っていません。それでも何の思い出もない〇〇小学校第〇〇期卒業生となりました。

 

言うまでもなく父が転勤族だったためですが、そのころ単身赴任という言葉はあったのかなかったのかわかりませんが、父は実家から出ていて持ち家もなく、また家族と一緒にいるのが当たり前だと思ったのか、毎回家族で移動です。

 

短い滞在は1年間。さすがに小学校の頃は引っ越しの手伝いもあまりせず、見ているだけでした。

そのころは引っ越し業者はあまりなく、日通によるほぼ寡占状態ではなかったでしょうか?

 

トラックに、10フィートほどの電車に積むコンテナが運ばれてきて、そこに荷物を詰め込んでいきます。それを駅から列車に積んで目的地近辺の駅に運んで、またそのコンテナを次の家まで運んで開梱します。

 

今みたいにトラックでそのまま運ぶには、高速道路が完備されていないといけませんが、そのころはまだ全国津々浦々高速道路がなかったため、列車の方が早かったのかと思います。

また、いわゆるプチプチのクッションもなく、段ボール梱包材なので、保護が不十分だったのか、着いたら母の鏡台の足が壊れていた記憶があります。

 

現在の引っ越しでも全くダメージがないかと言うと、結構家具が壊れていたり、ガラス物が割れていたりすることがあります。

大事なものは自分できちんと梱包するか、引っ越しの時に梱包状態をきちんと観察して、引っ越し業者に指示をした方が良いと思います。

 

あと、引っ越し業者によって段ボールの強度が違います。当然それによって値段も変わります。もし、何度も引っ越しする予定で、段ボールを再利用するつもりなら、強度のある段ボールを使用しているかどうかも判断の基準になります。

 

引っ越しはだいたい、午前中に来て昼までに積み込み、また搬入も近くなら同じ日の午後、遠くなら別の日の午前中に搬入が多かったです。

引っ越し業者の方も飲み物は持ってきていますが、追加の飲み物や休憩時のお菓子を出したり、時には簡単な昼食を出したり、チップ代わりに昼食代を出したりすると、別途その費用が掛かります。

当然これらは業者からの強制でもなく受け取らないところもあります。

 

引っ越しは荷物の搬入搬出の費用だけでなく、借家の場合、礼金敷金、修繕費、持ってきたいけど持ってけないので捨てざるを得ない物の償却費など、いろんな出費があり、これが引っ越し貧乏と言われる由縁です。

 

私も引っ越しがもっと少なければ、100万円以上は節約できたと思います。

でも新しい土地に住むのはそれなりにエキサイティングですし、面白いものです。

そして自分の気に入った土地に自宅やマンションを購入するのが一番いいのではないでしょうか?

もちろん、もう引っ越しの可能性は少ない!という段階になるでしょうが。。。

 

メガネ

今ほ日本人の7割以上の人がが眼鏡やコンタクトレンズ等で視力矯正しているそうです。

私もメガネかけてます。

 

私が眼鏡をかけるようになったのは、中学2年生ごろです。そのころ眼鏡をかけるとなんか勉強ができて、カッコいいと思っていたので、目が悪くなって眼鏡をかけるようになって正直うれしかったです。

でも、今となると当然目は良いに越したことはありません。

もともと近視から始まったのに今は乱視と老眼が入り、眼鏡なくては遠くも近くも見れません。

 

老眼で近眼の人は、眼鏡を取ると老眼鏡がなくても小さい文字が見えるのですが、私の場合乱視が入っているので、見えることは見えても字に影ができたように見えてしまいます。

 

娘も近眼だったのですが、レーシック手術を受けて直りました。

娘は海外に住んでいて、そこでもレーシック手術はやっているけどやっぱり日本の方が信頼できるということでわざわざ日本へ帰ってレーシック手術をうけました。

レーシック手術は保険が利かないので海外から来ても値段は同じ。

 

やる前は、もし失敗して目が見えなくなったらどうするんだと少し反対しましたが、言うことを聞くような娘ではなく、一人でレーシック手術の所へいってさくっと済ませてきました。

幸い問題なく手術は成功し、今は快適な眼鏡なしライフを楽しんでます。

 

娘がやったすぐ後に、知り合いがレーシック手術を受けて、目の表面に作成したフラップをペロッとはがしたあとに、角膜が薄いとかなにかの理由で、手術が中止され、プラップを戻して終わったそうです。

結局視力は良くならず、痛い思いしただけ。

それでも目が見えなくならなくてよかったよかったでした。

 

私はレーシック手術を受けたことも、コンタクトしたことがありません。

レーシックはやっぱり怖いし、コンタクトは自分で手を目に入れてコンタクトレンズを外すことがどうしてもできそうにないからです。

 

上記は否定的な理由ですが、肯定的な理由は、自分の顔は殺風景なので、眼鏡をかけた方がアクセントができていいいので。

最近はレンズなしで眼鏡をファッションの一部としている人がいますが、そんな感じです。

 

一つ不便なのがサングラス。

目が良ければ、度付きでないサングラスを結構安いのから買えるのですが、目が悪いとどうしてもコンタクトをしてサングラスをかけるか、度付きサングラスを買うかの二通りしかありません。

先にいったように私はコンタクトレンズをしないので、度付きサングラスだけが選択肢です。

 

今日、炎天下サングラスを忘れ、途中のお店で1000円ぐらいの安いサングラスが売ってましたが、日光はさえぎることができても、前がぼけて歩けないのでは意味がありませんので、買うのやめました。

実は私の眼は黒いので、茶色っぽい人よりは日光に強く、サングラスなくても何とか過ごせました。車の運転するとなるとサングラスあった方が見やすいですが、今日は歩きだけだったので問題なし。

 

でも、紫外線から目を守るためにもサングラスはかけた方がいいと思います。

昔ゴルフ用に眼鏡市場でスポーツサングラス作ったのですが、レンズが小さく、別の店に次のサングラスを作るためにもって行くと、こんなにレンズが小さいと、結局そのサングラスによって瞳孔が開いているところに、回り込んだ日光が目に入ってくるので良くないと言われました。

 

サングラスを作るときは、なるべく大きめのレンズがおすすめです。