引っ越し貧乏

私は今まで30回近く引っ越ししています。

ほとんどは独立してからですが、大学に行くため家を出るまでに7回引越しました。

小学校は3回変わりました。兄弟全て生まれた場所が違います。

最後の小学校は6年生の夏休み後、9月に入ったので、卒業まで半年ほどしかその学校に行っていません。それでも何の思い出もない〇〇小学校第〇〇期卒業生となりました。

 

言うまでもなく父が転勤族だったためですが、そのころ単身赴任という言葉はあったのかなかったのかわかりませんが、父は実家から出ていて持ち家もなく、また家族と一緒にいるのが当たり前だと思ったのか、毎回家族で移動です。

 

短い滞在は1年間。さすがに小学校の頃は引っ越しの手伝いもあまりせず、見ているだけでした。

そのころは引っ越し業者はあまりなく、日通によるほぼ寡占状態ではなかったでしょうか?

 

トラックに、10フィートほどの電車に積むコンテナが運ばれてきて、そこに荷物を詰め込んでいきます。それを駅から列車に積んで目的地近辺の駅に運んで、またそのコンテナを次の家まで運んで開梱します。

 

今みたいにトラックでそのまま運ぶには、高速道路が完備されていないといけませんが、そのころはまだ全国津々浦々高速道路がなかったため、列車の方が早かったのかと思います。

また、いわゆるプチプチのクッションもなく、段ボール梱包材なので、保護が不十分だったのか、着いたら母の鏡台の足が壊れていた記憶があります。

 

現在の引っ越しでも全くダメージがないかと言うと、結構家具が壊れていたり、ガラス物が割れていたりすることがあります。

大事なものは自分できちんと梱包するか、引っ越しの時に梱包状態をきちんと観察して、引っ越し業者に指示をした方が良いと思います。

 

あと、引っ越し業者によって段ボールの強度が違います。当然それによって値段も変わります。もし、何度も引っ越しする予定で、段ボールを再利用するつもりなら、強度のある段ボールを使用しているかどうかも判断の基準になります。

 

引っ越しはだいたい、午前中に来て昼までに積み込み、また搬入も近くなら同じ日の午後、遠くなら別の日の午前中に搬入が多かったです。

引っ越し業者の方も飲み物は持ってきていますが、追加の飲み物や休憩時のお菓子を出したり、時には簡単な昼食を出したり、チップ代わりに昼食代を出したりすると、別途その費用が掛かります。

当然これらは業者からの強制でもなく受け取らないところもあります。

 

引っ越しは荷物の搬入搬出の費用だけでなく、借家の場合、礼金敷金、修繕費、持ってきたいけど持ってけないので捨てざるを得ない物の償却費など、いろんな出費があり、これが引っ越し貧乏と言われる由縁です。

 

私も引っ越しがもっと少なければ、100万円以上は節約できたと思います。

でも新しい土地に住むのはそれなりにエキサイティングですし、面白いものです。

そして自分の気に入った土地に自宅やマンションを購入するのが一番いいのではないでしょうか?

もちろん、もう引っ越しの可能性は少ない!という段階になるでしょうが。。。

 

メガネ

今ほ日本人の7割以上の人がが眼鏡やコンタクトレンズ等で視力矯正しているそうです。

私もメガネかけてます。

 

私が眼鏡をかけるようになったのは、中学2年生ごろです。そのころ眼鏡をかけるとなんか勉強ができて、カッコいいと思っていたので、目が悪くなって眼鏡をかけるようになって正直うれしかったです。

でも、今となると当然目は良いに越したことはありません。

もともと近視から始まったのに今は乱視と老眼が入り、眼鏡なくては遠くも近くも見れません。

 

老眼で近眼の人は、眼鏡を取ると老眼鏡がなくても小さい文字が見えるのですが、私の場合乱視が入っているので、見えることは見えても字に影ができたように見えてしまいます。

 

娘も近眼だったのですが、レーシック手術を受けて直りました。

娘は海外に住んでいて、そこでもレーシック手術はやっているけどやっぱり日本の方が信頼できるということでわざわざ日本へ帰ってレーシック手術をうけました。

レーシック手術は保険が利かないので海外から来ても値段は同じ。

 

やる前は、もし失敗して目が見えなくなったらどうするんだと少し反対しましたが、言うことを聞くような娘ではなく、一人でレーシック手術の所へいってさくっと済ませてきました。

幸い問題なく手術は成功し、今は快適な眼鏡なしライフを楽しんでます。

 

娘がやったすぐ後に、知り合いがレーシック手術を受けて、目の表面に作成したフラップをペロッとはがしたあとに、角膜が薄いとかなにかの理由で、手術が中止され、プラップを戻して終わったそうです。

結局視力は良くならず、痛い思いしただけ。

それでも目が見えなくならなくてよかったよかったでした。

 

私はレーシック手術を受けたことも、コンタクトしたことがありません。

レーシックはやっぱり怖いし、コンタクトは自分で手を目に入れてコンタクトレンズを外すことがどうしてもできそうにないからです。

 

上記は否定的な理由ですが、肯定的な理由は、自分の顔は殺風景なので、眼鏡をかけた方がアクセントができていいいので。

最近はレンズなしで眼鏡をファッションの一部としている人がいますが、そんな感じです。

 

一つ不便なのがサングラス。

目が良ければ、度付きでないサングラスを結構安いのから買えるのですが、目が悪いとどうしてもコンタクトをしてサングラスをかけるか、度付きサングラスを買うかの二通りしかありません。

先にいったように私はコンタクトレンズをしないので、度付きサングラスだけが選択肢です。

 

今日、炎天下サングラスを忘れ、途中のお店で1000円ぐらいの安いサングラスが売ってましたが、日光はさえぎることができても、前がぼけて歩けないのでは意味がありませんので、買うのやめました。

実は私の眼は黒いので、茶色っぽい人よりは日光に強く、サングラスなくても何とか過ごせました。車の運転するとなるとサングラスあった方が見やすいですが、今日は歩きだけだったので問題なし。

 

でも、紫外線から目を守るためにもサングラスはかけた方がいいと思います。

昔ゴルフ用に眼鏡市場でスポーツサングラス作ったのですが、レンズが小さく、別の店に次のサングラスを作るためにもって行くと、こんなにレンズが小さいと、結局そのサングラスによって瞳孔が開いているところに、回り込んだ日光が目に入ってくるので良くないと言われました。

 

サングラスを作るときは、なるべく大きめのレンズがおすすめです。

 

エンジンがかからない

昨日、朝エンジンをかけようと思ったらかかりませんでした。

セルモーターは動いているのでバッテリー上がりでありません。

 

今の車は結構古くて、17万キロ走ってます。

いつ動かなくなってもおかしくないのですが、前の日まで動いていたのに急に動かなくなるなんて。。。

 

バッテリーでないとすると、プラグかな?と思って何十年かぶりに自分でプラグを交換することにしました。

 

以前の車は、たしか、プラグ交換用の工具まで付いていたように記憶しているのですが、今の車には見つからなかったので、手持ちの工具でトライ。

 

プラグキャップを外すと、結構プラグまでの距離が遠くて、手持ちのレンチセットでは届かず、慌ててCar Shopで延長ソケットを購入し、油にまみれになりながら、プラグを取り出すと右の写真のように真っ黒。

 

何十年か前に別の車で交換したことのある標準プラグと違い、イリジウムプラグでした。

白金プラグは知ってましたが、イリジウムプラグって言うのもあるんですねぇ。知りませんでした。

NGKのサイトで見ると他にいろいろありました。

 

今回は Car shopで一番安い1000円程度のに交換してみました。

 

さて、これでエンジンかかるだろうと思ったら、まだかからない。

 

あきらめて、車修理に持ってくかと嫁さんと話をしていたら、

嫁:「最後にエンジン掛けたのいつ?」

私:「昨日。ちょっとエンジンかけてすぐ切った」

嫁:「ずーっと前に、エンジンかけてすぐ切ると、次エンジンかからなくなるよって言ってたのあなたでしょ?

そん時は、アクセル何回か深く踏んでから、アクセル踏んだままかければかかるって言っていたじゃん。」

私:「あっ!そういえばそうだった。やってみる。」

:

車に戻って、アクセル何回か踏んで、セルを回すと。。。。「かかった!」

私:「かかった。あほや、そういえば自分で言ってて忘れてた。」

めでたしめでたし。

 

ということで直りました。でも、一般にエンジンかけてすぐ切ると、「プラグかぶり」って言って、プラグにガソリンが付着してかからなくなる現象のはずなのに、最初プラグを交換したのになぜかからなかったのだろう???

 

でも、かかった時の対処方法はまさにプラグかぶりの対処法。

プラグかぶりってホントにプラグにガソリンが付着してかからなくなるだけなのかなぁ?

ちょっと疑いの目。

 

とりあえず、修理屋さんにもって行かなくてよかった。

プラグ帰る前は、時々低速になるとエンジンが時々止まりかけるような挙動をしていたのですが、変えてから全く起きなくなり、ふけ上りもよくなりました。

 

エンジンの回転数が安定しなくなってきたときはプラグ交換がおすすめです。

 

 

 

 

 

 

パソコン

今や大抵一人が一台持っているパソコン。

もしかして持っていない人でも、少なくともスマホや携帯端末からインターネットへアクセスして、LINE、Facebook等を使っているのではないでしょうか。

 

パソコンは言うまでもなく、パーソナルコンピューター。コンピューターを個人で持つようになったのは約30年ぐらい前。

それまでは大型コンピューターを共有して使っていました。

もちろん今も大型コンピューターは学術研究用にありますが、それをまじかで見ることはほとんどないと思います。

 

私が学生の頃は、学校にあるコンピュータールームで、大型のコンピュータにプログラムを書き込んんで、動かしていました。

コンピューターは熱を発するので、必ず空調の入った部屋に設置されます。

学校のコンピュータールームは同様の空調システム下にあり、他の教室に空調が完備されていない夏は用がなくても涼みに行ってました。

 

さて、プログラム言語は今はもうきっと使われていないフォートランという言語。(と、思って調べると、今もスーパーコンピューター用の言語として使われているようですね。すごい。)

当時は一行を一枚のパンチカードと言われる紙に穴をあけて、記載し、それをコンピューターに読み込ませるものでした。

まだ、フォートランは人間の言語に近いものですが、アセンブラ言語になると、コンピュータのメモリやレジスタという、コンピューターを構成するハードウエアまである程度理解しないと書けないので、一時期学ぼうとしましたがあきらめました。

C言語もポインタがわからず、やっぱりくじけました。

 

しかし、フォートランを学んだおかげで、よく似たBasicと言う言語は理解しやすく、今でもMicrosoft Officeのアプリに組み込まれているVBA(Visual Basic Application) にも応用が利くので、30年以上たった今でもExcelにVBAを使って、入力フォームや自動集計させるプログラム作ることができます。

 

今は、WindowsもApple OSも、プログラムを組む必要なく、アプリケーションが使えて便利な時代になりました。

こうやってパソコンで日本語が打てるようになるまでにも、いろいろ進歩がありました。

専用日本語ワードプロセッサーに始まり、NECの98シリーズに日本語専用のROMを積んで、パソコン上で日本語が打てるようになり、パソコン用ワープロ 一太郎等のアプリが出て、日本語変換がソフトで可能になったDOS-Vパソコン。

 

また、OSもMS-DOSからアプリを立ち上げるコマンドを打ち込まなくても、WindowsやApple OSでアイコンをクリックするだけで、2つ以上のアプリを同時に操作できるようになりました。

 

と、いまさらコンピューターの進化について語ったところで、もっと詳しい話がインターネットを見れば載っています。

こうなると、何でもかんでも人に聞くより、ネットで調べればいいじゃんの時代。

これもパソコンとインターネットのおかげ。

昔話という言葉はなくなって、いずれ昔の記録 On インターネット になり、誰も昔の話しなくなるかも。

 

 

 

おでん

関西ではおでんのことを関東煮(「かんとに」と「かんどだき」)と呼ぶこともあるようですが、今でははんぺん、大根、ゆで卵、がんもどき、タコなどを醤油味のだしで煮たものをコンビニで「おでん」と呼んでいるので、この話はそのおでんの思い出。

 

小学校5年生のころ、公園で遊んでいると時々屋台のおでん屋さんがやってきました。

公園にやってくるのでお客は当然子供たち。

 

またまた例によってお小遣いのない私は買うことができず、なぜか子供のくせにお金を持っている一部の子が、金魚袋より少し大きめのビニール袋一杯におでんを買って、おやつとして食べてました。

 

そして買うことのできない子供たちは、おでんを買った子のビニールの端っこに穴をあけてもらって、汁だけを味わせてもらうと言う、今思うととても浅ましいことをしていました。

私もその一人です。

 

このおでんの出汁がとてもおいしくてたまりませんでした。

ただ、これは例によって子供のころの味覚の美化かもしれません。

今と違って、外食をほとんどしないので、屋台の味と言えど新鮮でおいしく感じたのでしょうね。

 

確か一度だけ、お小遣いをねだって、一番安いはんぺんを買った記憶があります。

出汁がおいしかったので、きっと具のおでんは、たとえ安いはんぺんと言えどもおいしいに違いないと期待していた私は、ふわっとした蒲鉾に空気を入れてアワアワにして固めた感じの歯ごたえと、思ったほど味のしみていないはんぺんにがっかりしました。

 

きっと今のコンビニのおでんの方がおいしいに違いないと思います。

 

 

紙芝居

紙芝居と言うと、幼稚園や保育園で今でもやっていると思います。

 

子供のころ、公園に紙芝居屋さんが来ていました。

紙芝居見せるだけでは当然お金にならないので、紙芝居屋さんのおじさんは子供たちに何か売って、買ってくれたお礼に紙芝居を見せてくれます。

逆かな?紙芝居を餌に(言い方悪いが)して子供たちにお菓子を買わせるわけです。

 

私が見た紙芝居屋さんは、水飴を売っていました。

透明なネトーとした飴で、割りばしに巻き付けてそれを子供たちがナメナメするおやつです。

例によってお小遣いのない私は、その水飴を買うことができず、うらやましそーに遠くから眺めるだけでした。

 

水飴が一通り行きわたり、本来の商売が落ち着いたところで、おもむろに紙芝居が始まります。

これも私は水飴を買っていない手前、近くに行くことができず、やっぱり遠くの方から眺めていました。只見です。

 

普通紙芝居屋さんは、裏に書いてある物語を読んで子供たちに聞かせるはずなのですが、私の見た紙芝居屋さんは、太鼓をドドンとたたく度に、ページをめくるだけで、何も話していないのです。

子供たちは笑ってたので、たぶん紙芝居の表面に字が書いてあってそれを読んでいたと思われます。(遠くなので見えない)

 

これが、私の記憶違いなのか、それともあまりに遠くで眺めていたので、声が聞こえなかっただけなのか。謎です。

 

話は飛んで、水飴。

大根を切って水飴に漬けておくと、大根のエキスが出て咳に効くと、おばあちゃんだったかおふくろだったかが作ってくれました。

実際咳に効いたかどうかは忘れましたが、紙芝居屋さんでは水飴が食べられなかった私は、咳が出てなくても、ちまちま舐めてました。

 

そういえば最近水飴そのまま舐めたことないなぁ。

今舐めるとちょっと甘すぎて、糖分過多になりそう。

 

どっこい大作

これもマイナーな子供向けドラマ。

「どすこい大作」というタイトルかと思っていたら、ほんとは「どっこい大作」だった。

 

それぐらい記憶に薄いどらまで、覚えていることと言ったら、ドラマの初めにマワシ姿の大作が、「どっこいどっこい」と掛け声をかけながら相撲の歩み寄りをするシーンと、ラーメン屋で修行していたことぐらい。

 

Wikipediaで調べてもこの記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。

と書いてあるぐらいなので、皆さん記憶が曖昧?

 

ラーメン屋の話しか覚えていないけれども、パン屋とか清掃会社でも働いた話もあるみたいですね。

 

ラーメンと言えば(標題と全く異なる内容に飛ぶのが私の悪い癖)、昔夜になると屋台のラーメンが近所にやってきました。明星チャルメラと同じ感じの屋台です。さすがにおじさんまでは同じ感じではないですが。

 

今は豚骨ラーメンのこてこてが多いけど、当時そんなラーメンがあったのかなかったのかはつゆ(汁)知らず、屋台のラーメンと言えば薄い色をした醤油味。

 

ごぐごくたまーに買ってくれたのですが、あの時の醤油ラーメンが今までで食べた中でおいしく感じるのはなぜでしょう。

子供のころの味の記憶って美化しすぎてることってないですか?

 

話戻ってどっこい大作に出てきたラーメンも映像でしかないけれどもすごくおいしそうに見えました。

 

当時食いしん坊だったので、食べ物を見ると何でもおいしそうで食べたくなっていたのかもしれませんね。

今みたいに食べ歩き番組がいつも流れていたら、きっとテレビの前でおなかグーグー鳴らしていたと思います。

 

食べ歩き番組を見て、実際にその店に行く人は、やっぱりおいしそうに見える映像につられて行ってしまうんでしょうね。

怪獣王子

覚えている人いるかなぁ?怪獣王子。

ネッシーのような首長恐竜(当時ブロントザウルスって言ってた気がするが定かではない)に乗った少年がブーメランを武器に何かと戦うお話。何と戦っていたのかもあまり記憶がないです。

アニメではなく実写版。

その少年は、確か双子で、赤ん坊の時に何かの拍子に一人だけ島に残されて、その恐竜に育てられたというBackgroundのはず。(すんません。ここも記憶が定かではないです)

オオカミに育てられたオオカミ少年とかゴリラに育てられたターザンならまだわからんでもないが恐竜にどうやって育てられたのだろ。踏みつぶされなかっただけでも不思議。

 

ドラマの記憶はあまりないのでブーメランの話。

ブーメランは確かオーストラリアの原住民アボリジニが使っていた武器、と言うか狩猟の道具というか。ひらがなの「く」の字をした右の絵のような物。

 

鳥とかに投げて当てて落とすのですが、当たらないとそのままクルクルっと自分の元に帰ってくるのがカッコいいと思った私はブーメランを自作しました。

 

怪獣王子では敵(さっきも言ったように何が敵だったか記憶にないのですが)に投げて当たってもちゃんと自分のもとに帰えって来てたけど、それはあり得ない。

 

怪獣王子のブーメランは恐竜の骨で作った、本人の背丈ぐらいありそうな大きなものでしたが、恐竜の骨なんかどこにもないので、木を切って手作り。

手作りなので、右のOfficeの描画機能で書いた図のように、板を切って作ったので非対称で曲線と直線がい入り混じった形状。

 

最初ベニヤ板で作ったら薄すぎてへらへら。全く飛ばない。

今みたいにDIYのお店でいろんな材料が買える時代ではなく、お金もないので家にあった有り合わせの木を使うので、大きさも形も重さもいろいろ。

 

中にはたまーにうまく戻ってきそうになるのもできましたが、キャッチできたことは一度もなかったです。

 

遊んでいるうちに、人に当ててケガさせたらまずいなぁと思ったのか、私はいつの間にかブーメランで遊ぶのはやめました。実は飽きっぽいんです。

 

巨人の星

昔のアニメの話はいっぱい思いだしますが、今日は多分ほとんどの人が知っている「巨人の星」。

今では少なくなったスポ根(スポーツ根性)アニメの先駆け(私の中では)

スポーツの世界で根性という言葉が今も使われるのかな?根性と言えば「ど根性ガエル」というアニメもあったけど、あれはあまり見ていた記憶がない。

あまり面白くなかったからかな?

 

話を戻して巨人の星。

主人公の星飛雄馬が父 星一徹のスパルタ教育で巨人軍(読売ジャイアンツ)の選手を目指す物語。目指すだけでなく実際投手となって、大リーグボール1~3号を編み出し、左腕を壊して引退するまでのお話。

 

思いだすのが大リーグ養成ギブス。

関節間でバネをつないでいるので、バネは効かないのではないかとのどっかの本で読んだけどどうなんでしょうね?

 

それより私は子供のころ、素肌につけているので、バネの隙間に産毛や肉挟んだりして痛いんじゃないかと思っていました。

 

鍛錬のためうさぎ跳びというのがありました。巨人の星でもやってましたし、実際私も体育の授業や部活でやらされました。今では膝を痛めるとかで禁止されているようです。

今頃禁止されても遅い。

 

消える魔球すごいですよね。ボールの軌道としてはバッターの手前で少し落ちて低空飛行し、また元のの高さに戻ってキャッチャーミットに入る。

 

投げる前に高く上げたスパイクの土埃をボールにまとわりつけ、バッターの前で低空飛行したとき、グランドの土でで保護色になって見えなくなる原理だったと記憶してます。

 

もしボールがグランドの土と100%同じ色なら保護色になってバッターには見えないのかもしれませんが、横から見てれば背景が違うのでわかりそうなものですが、ベンチで見ている人は気づかなかったのかな?不思議。

 

と、いろいろ突っ込みたくなることもあるのですが、実際このアニメ好きでした。毎週見ていた。実際のプロ野球は全く見ていなかったし、野球することもそれほど好きでもないのに、グローブとなんとユニフォームまで買ってもらって、背番号は当然星飛雄馬と同じ16番。

 

でもいつだったかほんとに野球やるときになってユニフォームを着るときになったら、背番号16が恥ずかしくなって、6をさかさまにして19番に縫い直してもらいました。

 

私にとって背番号16番のユニフォームは今で言うコスプレだったのだと思います。

牛乳瓶のふた

今は牛乳は紙パックに入ったものがスーパーで売られていますが、それまでは牛乳瓶に入っていて、朝牛乳配達の人が、毎日注文した分だけ届けてくれていました。

 

今でも古い銭湯に行くともしかすると、冷蔵庫に入って売っているかもしれません。

牛乳はなくても同じ瓶で、フルーツ味の甘ーいジュースのようなヨーグルトのようなものが売っているかも。

 

その牛乳瓶には上には紙のふたが付いていました。

最初はその蓋がピタッと瓶にはまっていたので、専用の太さ1~1.5mmほどの針が先についた蓋開けTool が必要でしたが、いつからか蓋の横に少しつまむところができて、そこをつまんで引っ張れば開けられるようになりました。

ちょうど、カップのアイスクリームの蓋と同じです。

 

その牛乳瓶の蓋を、平たいテーブルの上に置いて、手を使わずに、思いっきり口で「パッ!」と声を出すと、その声の衝撃派で牛乳瓶の蓋がパコっとひっくりかえります。

 

子供の時みんなで牛乳瓶の蓋を持ち寄って、自分の蓋をテーブルに置き、順番に「パッ!」と言って蓋をひっくり返す遊びをやっていました。

 

ルールはひっくり返ったら相手の蓋がもらえるだけの単純なものです。時には人のはひっくり帰っても自分のもひっくり返ったらダメとかルールを決めたりしてました。

 

ある日、同じように遊ぼうと近所の子供たちと集まりました。

テーブルに表(牛乳メーカのラベルが印刷してある方)を向けて5~6枚の蓋を載せ、最初私の番。「パッ!」言った瞬間、普通は1~2個ひっくり返ればいい方なのですが見事にすべての牛乳瓶の蓋がひっくり返り、総取り。

 

しばらくそのことは子供たちの間で語り継がれました。